Talking New York --- New Yorkで見つけた英語

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RBGとニューヨーク。ニューヨーク市博物館の特集を見る。

ニューヨーク公共図書館(YNPL)が、大統領選挙の前に、子供たちに読んでもらいたい本のリストを作ったことをブログに書きました。


キッズ(出生から思春期まで)向けと、ティーンズ(思春期から17歳まで)向けに2通りあったのですが、その中でどちらにも「RBG」という名前がついた本がありました。「RBG」というのは、今年9月18日に88歳で亡くなった、アメリカの最高裁判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)さんです。


今日は、Museum of the City of New York (ニューヨーク市博物館)が特集した、"RBG and NYC"(『RBCとニューヨーク市』 )を読みたいと思います。


こちらのサイトからです。



RBG and NYC 

October 19, 2020  by Sarah Seidman


Since the death of Supreme Court Associate Justice Ruth Bader Ginsburg on September 18, 2020 at the age of 88, countless pieces have explored her work and enormous legacy. At the Museum of the City of New York we have reflected on her impact through her interview with Nina Totenberg hosted by the Museum in 2018, the exhibition that included her, Beyond Suffrage: A Century of New York Women in Politics, and our ongoing commitment to connecting past and present.


連邦最高裁判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグさんが、2020年9月18日、88歳で逝去されました。それ以来、彼女の仕事と偉大な 業績について数えきれない逸話が語られています。我々はこの博物館で彼女に関する特設展示を行い、2018年に博物館主催のニーナ・トーテンバーグが行ったインタヴューを通して彼女の影響力を振り返りました。その特設展示は、「婦人参政権を越えて:政治におけるニューヨークの女性の世紀と、過去と現在を結ぶ我々の役割」というものです。


The child and grandchild of immigrants from Eastern Europe, Ginsburg was born and raised in Flatbush, Brooklyn. In her interview with Nina Totenberg, Ginsburg maintained that after forty years in Washington she still considered herself “not only a New Yorker but a Brooklynite.” She detailed the impact of New York’s cultural scene on her youth in the 1940s, from frequenting the Brooklyn Museum and the Brooklyn Botanical Garden to experiencing music and opera that had a lasting influence on her life. In particular, Ginsburg emphasized the impact of Dean Dixon, a Black musical conductor who put on operas in New York City high schools but left the country because of discrimination.


東ヨーロッパからの移民の子供であり、孫であったギンズバーグは、ブルックリンのフラットブッシュで生まれ育ちました。ニーナ・トーテンバーグとのインタヴューの中で、ギンズバーグはワシントンで40年働いたあと、いまだに自分は「ニューヨーカーであるばかりでなくブルックリン人だ」と思っていると述べました。彼女は、ブルックリン博物館とブルックリン植物園をしばしば訪れたことや、生涯を通して影響を与え続けた音楽やオペラのことなど、1940年代の若かりし頃、ニューヨークの文化的環境が彼女に与えた影響を詳細に語りました。特に、ギンズバーグが強調したことは、ディーン・ディクソンという一人の黒人のミュージカル指揮者のことでした。彼は、ニューヨーク市の高校でオペラの指揮をしていたのですが、差別を受けて国を離れたのです。


New York City was also formative to Ginsburg’s pioneering legal career. Long before she became a Supreme Court justice in 1993, Ginsburg successfully argued a series of groundbreaking legal decisions for women before the Supreme Court. On behalf of the New York-based ACLU, where she founded their Women’s Rights Project in 1972, Ginsburg won better protections under the equal protection and due process clauses of the U.S. Constitution for female victims of sex discrimination. Although Ginsburg entered the law at a time of entrenched sex discrimination within the profession, she cited women’s rights activists and lawyers Pauli Murray and Dorothy Kenyon—both of whom spent formative years in New York—as laying the foundation for her work.


ニューヨーク市はまた、ギンズバーグのパイオニアとしての法曹界のキャリアの形成過程に重要な影響を与えました。彼女が最高裁判事になる1993年のずっと前から、ギンズバーグはニューヨークの女性のための一連の画期的な法的裁定を、最高裁が出す前に行なっていました。ニューヨークに本部を置く、ACLU(American Civil Liberties Union---米国自由人権協会)において、彼女は1972年に女性の権利プロジェクトを創設しました。そのACLUの代理として、ギンズバーグは合衆国の平等の保護と法的に適正な手続きに関する条項のもとに、性差別の犠牲者であった女性の保護の改善を勝ち取りました。ギンズバーグは職業的な性差別が定着していた時代に法曹界に入りましたが、自分の仕事の基礎を気付いてくれた女性について言及しました。その人たちとは、女性の権利活動家とニューヨークで女性の権利の形成時期に活躍した、弁護士であるポーリ・マレイとドロシー・ケニョンでした。



                     (ニューヨーク市博物館の展示画像より)


        
Late in life, Ginsburg became an iconic figure laden with New York significance. Dubbed the “Notorious RBG,” a takeoff on fellow Brooklyn native and rapper Notorious B.I.G., Ginsburg inspired new generations. Likewise, her work as an Associate Justice in a liberal minority on the Supreme Court became increasingly visible. Her dissent in Shelby County v. Holder decried the dismantling of state protections initially enacted by the Voting Rights Act in 1965, dismantling that has come to pass in recent years. Her death has also taken on a broader political meaning tied to the 2020 presidential election, from her stated last wish that her seat on the Supreme Court be filled by the next president, to the Republican rush to fill it with Amy Coney Barrett—whose judicial views potential differ substantially from Ginsburg’s—before the 2020 election.


人生の後半でギンズバーグは多くのニューヨークの重要性を担う象徴的人物となりました。ブルックリン出身でラッパーのノトリアス・BIGのもじりで、「ノトリアス(悪名高き)RBG」と呼ばれ、ギンズバーグは新しい世代に勇気を与えました。また、リベラルマイノリティーの中で最高裁判事としての彼女の働きは、徐々に注目されるようになってきました。シェルビー郡対ホールダーで彼女が唱えた異議は、1965年の投票権法を期限として最近起こってきた国家による保護の崩壊を非難しました。彼女の死は広く政治的な意味を持ち、2020年の大統領選にまで影響しました。最高裁での彼女の後任の選出は、次期大統領によってなされるべきだとギンズバーグは最後の希望を述べ、大統領選の前に、共和党はエイミー・コニー・バレットを慌てて後任にしたのです。バレットの法的な考え方がギンズバーグのものとかなり異なる可能性があったのです。


At such a pivotal moment, we would do well to remember not only Ginsburg’s enormous impact on New York and the United States, but on the city’s earlier activists, legal scholars, and artists who influenced her. Most recently, the Brooklyn Municipal building, located in downtown Brooklyn on Joralemon street, was named for the late Justice. While the movement to rename the building began two years ago, the new name was unveiled shortly after Ginsburg’s death in mid-September, commemorating her legacy both in law and in Brooklyn.


そんな重要な瞬間に、我々はギンズバーグのニューヨークと合衆国における大きな影響力ばかりでなく、ニューヨークの初期の活動家、法律学者、そして彼女に影響を与えたアーティストたちのことを思い出すとよいでしょう。つい最近ブルックリンのダウンタウンにある、ジョラレモンストリートのブルックリン庁舎はその名前を、個人となった判事にちなんで、(Ruth Bader Ginsburg Buildingと)名付けられました。2年前にその建物の名前を変える運動が始まり、新しい名前が明らかになったのはギンズバーグが亡くなった直後、9月中旬のことでした。彼女の法とブルックリンの両方における偉業を讃えたのです。




次の画像は、2020年9月20日、ブルックリン区長のエリック・アダムス(Eric Adams)が、新しい区役所の名前を発表しているところです。(POLITICOより)




約1時間に渡るインタヴューの動画はこちらにあります。
   ⇩
https://www.mcny.org/story/rbg-and-nyc



※「シェルビー郡対ホルダー」については、こちらのブログがとても分かりやすく説明されていたので、一部転載させていただきます。 
(Wikipedia にも"shelby v. Holder"として載っています。→こちら。)



次が引用部分になります。前半を省略していますので、全文は上のサイトをお読みください。



2013年に、「シェルビー郡対ホルダー事件」に対して連邦最高裁が示した判決(「シェルビー判決」)によって、投票権法は、実質的に骨抜きにされてしまった。この法律の下では、かつて投票上の人種差別の事実がある州では、選挙方法に関する州法の改正の際には、事前に連邦政府の承認を得る必要があったのだが、その要請が最高裁判決によって覆された。


その結果、翌2014年の中間選挙では、早くも14の州で投票についての規制が導入され、期日前投票期間の短縮や投票の際に身分証明書の提示などが求められるようになった。結果、マイノリティ、若者、貧困層等の投票率の低下につながることになった。


こうした投票権法の顛末についてはアリ・バーマン『投票権をわれらに』が参考になる。半ばジョン・ルイスの半生記でもあるこの本では、65年の投票権法がもたらした黒人の政界進出の実態と、その反動として生じた、黒人の投票に対する妨害行為の詳細が記されている。


この中で、『投票権をわれらに』という本が紹介されていました。(Ari Berman著  秋元 由紀 訳)です。


投票権をわれらに:選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い
投票権をわれらに:選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い
白水社


アマゾンの説明に、
油断したら投票権すら奪われる――そんな「民主主義国家・法治国家」アメリカの実相を描いた驚愕のノンフィクション。」
と書いてありました。
2016年出版の本です。


英語原本はこちらです。
(ニューヨーク市博物館が大統領選に向けて大人に読んでもらいたい本のリストに入ってました!)

Give Us The Ballot
Give Us The Ballot
Picador


さて、最後は・・・
CNBCがRBCの死を伝えたときの画像です。




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