Talking New York --- New Yorkで見つけた英語

発見と感動を与えてくれるニューヨークを英語学習に役立つコンテンツにして毎日お届けしています。

アメリカ第二位の保険会社、ガイコがくぐり抜けてきた試練とは?

アメリカンドリーマーだった、レオ、リリアン・グッドウィンが大恐慌の最中に立ち上げた保険会社が、"GEICO"(Goverment Enployees Insurance Company---公務員保険会社)でした。レオ・グッドウィンが1958年に引退し、デイヴィッドソンが会社を引き継ぎ、
1959年にメリーランドのシェビー・チェイスに新しいガイコの本部を開いて指揮に当たりました。


ここまでが昨日のお話。


さて、今日は"Growing Pains"(成長期の痛み)です。気になります。読みます。


Growing Pains
The 1960s proved to be similarly successful. GEICO experienced virtually unbroken growth, passing the 1 million policyholder mark in 1964. Insurance premiums reached $150 million in 1965. Net earnings doubled to $13 million in 1966. GEICO opened a number of sales and service offices for walk-in customers and its first drive-in claims office in 1965.
1960年代は、これまでと変わらず波に乗った時代でした。ガイコは実際敵なしの成長を遂げました。1964年には、加入者の数が100万件を突破しました。1965年には保険料が1億5千万ドルに達しました。1966年には純利益は倍の1,300万ドルになりました。ガイコは予約なしでも気軽に入れる販売とサービスオフィスを数多く出店し、1965年には初めてドライブインスタイルで保険料の請求ができるオフィスを開きました。


The 1970s, however, were not nearly so good to the company. At the beginning of the decade, both Leo and Lillian Goodwin passed away, and the loss of the company's founders seemed to usher in difficult times for GEICO. By the mid-70s, the years of aggressive expansion were starting to show some weaknesses in the company's loss reserves. It led to a difficult period for the company.
しかし、1970年代は全くよくありませんでした。70年代初頭、レオとリリアン・グッドウィン夫妻が他界したのです。ガイコにとって創始者を失ったことは、困難の時代の前触れのようでした。積極的に会社を広げてきた70年代中頃までに、会社の損失てん補準備金に弱さが表れ始めました。このことが会社を苦難の時期に引き込んだのです。


GEICO used the experience to strengthen its underwriting and reserving activities which helped build the company's current reputation as a fiscally superior organization. Warren Buffett made another appearance in 1976 for a second purchase of GEICO stock, reported to total 1 million shares.
Prudent underwriting prevailed in the 1980s and expansion continued. GEICO introduced 24-hour a day, 365-day a year telephone service for claims, sales and service in 1980 as its emphasis on customer service deepened.
ガイコは 保証責任と保有資金を強化たことが、財政的に優れた組織としての現在の会社の評判を築き上げた、という過去の経験を活かしました。1976年、ウォーレン・バフェットが再び表に立ち、二回目のガイコ株購入を(行い会社に資金を提供)したのです。合計百万株の購入だったと伝えられています。
1980年代には保証内容を慎重に検討するようになり、会社の拡大は続きました。1980年、顧客対応の強化が進み、24時間、365日電話での受付、セールス、サービスを導入しました。


さて、ウォーレンのガイコ株の法外の購入で立ち直ったガイコですが、この会社をアメリカ第二位の地位に押し上げた力になったのは、どうもヤモリのゲッコー君によるところも大きいようなのです。ゲッコー君は発音が似ているということで、1999年にガイコのキャラクターに採用されたらしいのですが、日本では、ちょっと考えられない採用ですね。次に、ちょっとその辺の背景を探ってみたいと思います。



Englishラボ
MisTy

×

非ログインユーザーとして返信する