Talking New York --- New Yorkで見つけた英語

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「腸チフスのメアリー」で浮彫りにされた、無症状病原体保有者の人生。

今日のブログは「コレラ」と「腸チフス」です。これらがニューヨーク市を襲った時の様子をみます。


原文はこちらです。





Alexander Ming (1773?- 1849). Choler. Health Reporter. 1832. Museum of the City of New York. 38.261.1.
ヘルスレポーター、アレキサンダー・ミング作成。「コレラ」1832年  ニューヨーク市博物館所蔵


Cholera struck the city again in 1849 and remained a constant presence until 1854. Overcrowding and unsanitary living conditions in boarding houses and tenement buildings of the Lower East Side contributed to the spread of disease. Residents had little access to clean running water and an inadequate sanitation department allowed cholera to takes its toll. By 1854, Dr. John Snow of England had discovered that cholera was transmitted via water contaminated by the waste of cholera victims. Snow was able to pinpoint the transmission of cholera to a well located on Broad Street. A baby’s dirty diaper was found floating in cesspool nearby.
1849年にコレラがまたューヨーク市を襲いました。そして1854まで居座り続けました。ロウワーイーストサイドの宿泊施設や共同アパートの過密状態、非衛生状態が流行を拡大させました。住民はほとんど清潔な水道水を得ることができず、衛生局が無力だったためにコレラが多くの命を奪いました。1854年には、イギリスのジョン・スノウ博士はコレラにかかった人の廃棄物で汚染された水が原因でコレラが広がったということを突き止めました。スノウ博士はブロードストリートにある井戸がコレラ菌拡大のポイントであることをつきとめ、赤ちゃんのよごれたオムツが近くの汚水槽に浮いているのを見つけたのです。


The completion of the Croton Aqueduct in 1842, the banning of pigs within the city in 1849, and a properly managed Metropolitan Board of Health all contributed to declining outbreaks of cholera within New York City but there were still other diseases to contend with. 
1842年にクロトン水道が建設され、1849年に市内で豚を買うことを禁止し、都市保健協会が適切に機能するようになり、こうしたことで、ニューヨーク市の中でのコレラの流行は減っていきました。しかし、まだ戦わなければならない他の病気があったのです。


Joseph Fairfield Atwill (1811-1891). Croton Water Celebration 1842. Ca. 1842. Museum of the City of New York. 29.100.2036.
1842年頃のジョセフ・フェアフィールド・アットウィル作。「1842年のクロトン水道建設を祝う」 ニューヨーク市博物館所蔵


In 1883, a young Mary Mallon emigrated to the United States. By 1906 she was employed as a cook within a wealthy household located on Long Island. Shortly after the beginning of her employment, six of the 11 members of the household fell ill with typhoid fever. The family engaged sanitary engineer George Soper to investigate the cause of illness. Soper was able to identify Mary Mallon as the first asymptomatic carrier of typhoid fever. She exhibited none of the symptoms associated with the illness but was infecting those she served by not washing her hands before handling food. 
1883年、若きメリー・マロンが合衆国へやって来ました。1906年には、彼女はロングアイランドにある裕福な家庭に料理人として雇われました。雇われてほどなく、そこの家族11人のうち6人が腸チフスになりました。家族は衛生技師のジョージ・ソーパーを原因調査に雇いました。ソ-パーはメリー・マロンが最初の症状のない腸チフスの保菌者であると断定しました。彼女は病気の症状は何一つなかったのですが、食べ物を扱う前に手を洗わず、給仕した人たちに移していたのです。


Soper looked further into Mary’s employment history and discovered seven of her eight previous households had suffered from typhoid. The New York City Health Department quarantined Mary on North Brother Island from 1907 to 1910. The new health commissioner Ernst Lederle released Mary in 1910 with the condition that she never work as a cook again. Mary soon broke this pledge and was discovered cooking under the alias “Mary Brown” at Manhattan’s Sloane Maternity Hospital after a typhoid outbreak in 1915. She then spent the last 23 years of her life living in forced confinement on North Brother Island. 
ソーパーはさらにメアリーの今まで働いていた過程をたどり、以前働いていた8つの家族のうち7つの家族が腸チフスになっていたことをつきとめました。ニューヨーク市保健局はメアリーを1907年から1910年までノースブラザー島に隔離しました。新しく局長になったアーンスト・レダールは、再び料理人にはならないという条件で1910年にメアリーを自由の身にしました。メアリーはすぐにこの約束を破り、1915年に腸チフスが流行した後、「メアリー・ブラウン」という偽名を名乗ってマンハッタンのスロアン産科病院で台所に立っていたのを見つけられました。その後、彼女は人生の最後の23年間をノースブラザー島の強制隔離施設で過ごしました。


メアリーはアイルランドから移住した人でした。自身が無症状であったため、不当な扱いを受けたとして、裁判を起こしたこともありました。最初の検査の結果で、彼女の体内から菌が見つかったのですが、納得しない彼女は自身で別に検査を受け、その結果は陰性でした。しかし社会からは、「腸チフスのメアリー」として極悪人扱いをされたことも事実です。


2回目の23年間の隔離を経て、社会に戻ることなく亡くなったのです。(死因は心臓発作です。)死後の解剖の結果、彼女の胆のうに菌が見つかったということです。チフス菌は、胆のうだけに感染した場合、抵抗力のある人は無症状のまま、生涯にわたって菌は胆汁に混ざって腸に排泄されるということが分かったそうです。


(「腸チフスメアリー」と書かれた、ニューヨークアメリカン紙」Wikipediaより)


コロナウィルス感染にも、同じように無症状の保菌者が確認されており、また、陰性になっても再び陽性になるケースもあるということで、「無症状保菌者」の苦しみも大きな問題になる可能性があると思います。


もちろん腸チフスとコロナウィルスは全く別なものですが、コロナウィルスの場合、まだ詳しいことが分かっていないことが、恐ろしいことです。すでに、「無症状保菌者」が外に出て菌をバラまいている、と報道されていますし、マスクをしていないと、まるで犯罪者かのように扱われるという風潮もあります。こうした意味でもやはり、検査は必要です。日本が検査できる件数は多いのに、そして、検査数を増やすと政府はいっているのに、依然として検査数が増えないことに不安がつのります。そして、いわれのない差別やいじめにつながる可能性もあります。正しい情報と、自覚と、正しい判断と行いを心がけようと思います。


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