Talking New York --- New Yorkで見つけた英語

発見と感動を与えてくれるニューヨークを英語学習に役立つコンテンツにして毎日お届けしています。

自由の女神に会って、エリス島の移民博物館を訪れる。"peopling"という単語を見つけた。

ニューヨークは、何度訪れても、何日滞在しても次々と新しいものを見せてくれる。未来を体感させてくれたり、過去をよみがえらせてくれたりすることで、自分の中で何かが動き出す、そう感じさせてくれる所です。


エリス島には、自由の女神のいるリバティーアイランドからマンハッタンに帰る途中にフェリーが停泊します。移民博物館の入館は無料です。自由の女神より見応えがあるほど、素晴らしい展示の数々。最低2時間はかかるでしょう。



正面入り口付近です。




"National Museum of Immigration" 「国立移民博物館」が正式名称です。
入り口入ってすぐの案内板。英語をチェックします。


黄色の案内板。
JOURNEYS : The Peopling of America 1550-1890
1550年~1890年の道のり
アメリカへの定住


青色の案内板。
The Ellis Island Experience 1890-1954
1890年~1954年のエリス島で行われたこと


赤色の案内板。
JOURNEYS : New Eras of Immigration  1945-Present
1945年から現在に至るまでの移民新時代の流れ


写真の横の英語
You are entering the historic Baggage Room, where immigrants began their Ellis Island experience.
ここから歴史的なバゲッジルームに続きます。そこから移民のエリス島での経験が始まったのです。


案内板に従って、まずバゲッジルームに行きます。
移民はこんなに大きく思い荷物を持ってやってきたわけです。



説明の英文があります。
左側を拡大して写します。





Ellis Island : 
From Getaway to Museam
Over 12 million immigrants entered the United States through Ellis Island, the nation's principal gateway during the years 1892-1954.  Many Americans trace their ancestry  to immigrants who crossed this island before dispersing to points all across the country. 
Following restoration in the 1980s, this building reopened as a museum dedicated to the nation's immigrant heritage.  Ellis Island National Museum of Immigration chronicles Ellis Island's role in immigration history and now views it in the context of global migration and over four centuries of immigration to the United States.  
エリス島の変遷。新しい国への入り口から博物館へ
1,200万人の移民がエリス島を通って合衆国へ入りました。エリス島は1892年から
1954年まで、この国への主要な入り口でした。多くのアメリカ人の先祖はまずエリス島を通ってから、国のあちこちに散らばっていったのです。この建物は1980年代に修復され、移民たちの遺産を記念する博物館として再び開かれました。 エリス島と国立移民博物館はエリス島の移民の歴史的な役割を記録し、それを世界的な民族移動、および4世紀にもわたるアメリカの移民と関連づけて見せてくれます。


次に右側の英文に行きます。バゲッジルームについてです。



The Baggage Room
Once they disembarked from the ferries, immigrants crowded into this room where they could check their baggage.  With thousands of people going through the inspection process every day, keeping track of immigrants' belongings became a major logistical challenge and lost baggage a common fear.  Some immigrants chose to keep their possessions with them, lugging them through the entire inspection routine.
バゲッジルーム
移民たちはフェリーから降りてすぐに、自分たちの荷物を確認できる部屋へと集まりました。連日何千もの人たちが検査を受けていたので、移民の荷物を滞りなく運ぶことは困難な仕事であり、荷物が無くなることもしばしばでした。移民のなかには、自分の持ち物を手元に置いておくことを選んだ者もいました。その人たちは検査の全行程を通して大変な思いをして荷物を持ち歩いていたのです。


A private concession under government contract operated the baggage-handling service.  After immigrants passed inspection, they could arrange with the concession to ship their baggage to a final destination at a fair cost.  Immigration officers, however, sometimes discovered concession employees cheating immigrants, charging as much as twice the rate of commercial freight handlers. 
政府の委託を受けた民間の機関が特権をもって荷物受け渡しサービスを行っていました。
移民たちは検査を終えた後、正当な値段で自分たちの荷物を最終目的地まで運ぶ手続きを行うことができました。しかし、普通の2倍もの輸送費を要求しているなど、委託した係員が移民をだましているところを係官が見つけるといったことが時々ありました。



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