Talking New York --- New Yorkで見つけた英語

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ニューヨーク、移民博物館で「タマニー・ホール」を知った。

世界史が必修になりました。以前は日本史と世界史の選択で、世界史はアメリカというよりヨーロッパの歴史のほうに多くの時間をさいていたように思います。


今日は、前回載せたこのパネルの右側に注目しました。



"Tammany Hall" (タマニーホール)を知らなかったからです。




Tammany Hall
Many New Yorkers condemned the graft and political corruption associated with Tammany Hall --- the Democratic Party political machine that influenced city politics throughout the 19th century. For New York's Irish immigrant community, however, Tammany was a source of aid, advocacy, and leadership.


タマニーホール
多くのニューヨーカーがタマニーホールと関係する不正と政治的腐敗を非難しました。タマニーホールというのは19世紀の都市の政治に影響を与えた民主党の政治機関のことです。しかし、ニューヨークのアイルランド移民のコミュニティーにとって、タマニーは支援、社会運動の中心的存在、そして指導者でした。


The Tammany Society --- later Tammany Hall --- was founded in New York City in 1789 as an institution to help the poor. Within a decade, the society entered politics. It soon became the major organization for the Democratic Party in the city, and remained so for ever a century. By the mid 19th-century, a strong relationship based on patronage and loyalty had developed between Tammany Hall and New York's Irish immigrants. Tammany Hall recognized the voting potential of this large Irish population, and sought to win support by championing immigrant rights, providing social services and jobs, and even distributing food and heating fuel.


タマニー・ソサエティー(後にタマニーホールとなる)は貧しい人たちを助けるための機関として1789年、ニューヨーク市に設立されました。10年のあいだに、その団体が政界に進出しました。そしてすぐにニューヨークの民主党の中心的な組織となり、1世紀に渡ってそうあり続けました。19世紀なかごろにはすでにタマニーホールとニューヨーク市のアイルランド移民の間の関係が後援と信用を基盤にして強くなっていました。タマニーホールは、アイルランド移民の数が多いことに潜在的な力を感じていました。そして移民の権利を擁護することによって支援を取り付けようとし、社会的なサービスや仕事を提供し、また食糧や燃料の配給まで行いました。


Tammany's ward bosses, like George Washington Plunkitt, worked on a grassroots level in city neighborhoods. Immigrants in need of a job, medical care, or other aid would appeal to them, so that they could use their influence to help. Tammany Hall was also an avenue for upward mobility, through patronage, providing leadership positions to Irish Americans like Richard Croker and Honest John Kelly, among others. In return for this much-needed assistance, Tammany Hall expected the Irish to turn out to vote. And they did --- the Irish repeatedly rewarded Tammany Hall politicians with electoral loyalty. 


タマニー地区の指導者たちは、ジョージ・ワシントンン・プランキットのように、自分たちの住んでいるところで草の根レベルで活動しました。仕事や医療、あるいは他の援助が必要な移民たちは彼らに直訴し、指導者たちは支援するために自分たちの影響力を使いました。タマニーホールはまた社会的地位を高める道でした。任命権を使ってリチャード・クロカーやオネスト・ジョン・ケリーのようなアイリッシュ系アメリカ人に政治的地位を与えました。とても必要な援助の見返りとして、タマニーホールはアイルランド人が自分たちに投票してくれることを期待していました。そして実際に、アイルランド人は政治的な忠誠をもってタマニーホールの政治家たちに報いました。


タマニーホール設立は1789年で、「タマニー」の語源は、アメリカ先住民レナペ族の狩猟のタマネンド(セント・タマニー)に由来すると言われています。アーロン・バー(Aaron Burr)が第二代会長で、彼が会長に就任して以来一気に政治色が増しました。彼は1800年の大統領選で副大統領に就任しています。アーロン・バーで、「あっ!」と思った方、有難うございます。


ここに出てきました!



その部分の動画をもう一度転記します。どこで、アーロン・バーが出てくるのか見てくださいね。



Original "got milk?" commercial - Who shot Alexander Hamilton?


お楽しみいただけましたでしょうか? MisTyもびっくりしました。。。(^_^)


Englishラボ
MisTy

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