Talking New York --- New Yorkで見つけた英語

発見と感動を与えてくれるニューヨークを英語学習に役立つコンテンツにして毎日お届けしています。

「新住民」である移民の不安。彼らに求められたことは何だったのか。

アメリカへの移民がピークに達していたのが、1880年~1924年です。新しい生活をアメリカで始めた彼らは、不安でいっぱいだったにちがいありません。彼らがどのようにして「新しいアメリカ人」となっていったのがが次のパネルに書いてありました。



Immigrants reacted to this cultural barrage in a variety of ways. Assimilating was usually a slow, painful process. Newcomers had to make difficult choices and learn to strike a balance between the tradition of the old world and the fast-paced demands of the new.
移民たちは様々なやり方でこの次々と降りかかってくる文化的な問題に立ち向かいました。同化するということは常にゆっくりとした苦しい道のりでした。新しくやってきた者は難しい選択をし、かつての古い伝統と新しい生活のすばやい変化の間でバランスをとっていく方法を学ばなければなりませんでした。


During immigration’s peak years, the growing numbers of unassimilated, non-English-speaking newcomers who lived in overcrowded ethnic neighborhoods alarmed native-born Americans. By the 1910s, this alarm led to the creation of many programs to educate immigrants and hasten the assimilation process. “Greenhorns,” as newcomers were sometimes called, received advice from all sides. Employers, teachers, bureaucrats, and social workers urged them to submerge themselves in the “Melting Pot,” learn English, become citizens, vote, and support the U.S. in World War I.
移民がピークに達した年、まだ溶け込んでいない、英語が話せない移民の数が増え、その人たちは同郷の人たちで群がって住み、以前から住んでいるアメリカ人たちに警戒心を抱かせていました。1910年代に入るまでに、こうした警戒心によって、移民を教育し同化のプロセスを早めるような多くのプログラムが作られました。「グリーンホーン(何も知らない者)」と呼ばれることもあった人たちはあらゆるサイドからアドバイスを受けました。雇用者、先生、役人、ソーシャルワーカーたちは彼らに、「メルティングポット」に入り込み、英語を学び、市民となって投票に参加し、第1次世界大戦ではアメリカを指示するように強く促したのです。



次のポスターを見て、トランプ大統領はこのポスターを見たのかなと思いました。
含んでいる内容は全く違いますが・・・。



Englishラボ
MisTy

×

非ログインユーザーとして返信する