Talking New York --- New Yorkで見つけた英語

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極貧だった移民がどのように生活水準を上げていったのか?改めてニューヨークの建築物を見る。

ニューヨーク、エリス島にたどり着いた移民希望者は、許可が下りるとそれぞれ最終目的地に散らばっていたわけですが、どこの土地に行ってもまず待ち受けていたのは、新しい土地での生活と、やってくる前に住んでいた国とのギャップです。言葉の壁はもちろんのこと、伝統や習慣を含めてすべての環境が変わったわけです。


こうした2つの世界の狭間で大変な苦労を重ねて、新しいアメリカを創っていくのです。
すべての移民が極貧生活であったことは想像に足ります。しかし、そこから這い上がって生活を築いていく移民は一帯どのようにその水準を上げていったのか、つぎのパネルに説明がありました。


読んでみます。


Between Two Worlds
By 1910, 75% of the residents of New York, Chicago, Detroit, Cleveland, and Boston were immigrants or the children of immigrants.  They generally lived in the poorest sections of the cities, in Little Italys, Chinatowns, and other ethnic enclaves, where they could speak their own language and find refuge from the demands of American society.
2つの世界の狭間で
1910までには、ニューヨーク、シカゴ、デトロイト、クリーブランド、ボストンの住民の75%が移民、あるいはその子供たちとなっていました。彼らは大抵極貧地区に住んでいました。リトルイタリーやチャイナタウン、その他の民族ごとに集まった所です。そこでは自分たちの言語を話すことができ、アメリカ社会の要求から逃れることができたのです。


Despite severe poverty, immigrant neighborhoods developed rich and self-sufficient cultures.  Churches and synagogues were spiritual outposts that preserved 
religious traditions for their immigrant congregations. In addition, a broad spectrum of ethnic organizations sprung up: neighborhood clubs; mutual aid societies; and national organizations that promoted ethnic culture, funded social programs, and lobbied Congress for legislation beneficial to immigrants. 
ひどい貧困状態だったにもかかわらず、移民が住んでいたところでは、豊かでそれなりに充実した文化が育ちました。教会やシナゴーグに人々が集まり、宗教的な伝統を守って心のよりどころとなりました。加えて様々な民族組織が立ち上がりました。たとえば、地域クラブ、互助会、国家機関などでそれらは民族文化を広め、ソーシャルプログラムのための基金を募り、移民のためになる法律を求めて議会に陳情しました。






Building America
Millions of immigrant laborers helped build modern America.  In most large cities, Irish workers had once dominated the building trades, but by the 1880s, Italians, Greeks, and Poles were becoming more prominent. In 1897, for example, about 75% of the laborers paving streets, digging sewers, and building bridges and subways in New York City were Italian immigrants, and the same was true of other major cities. 
アメリカを建てる
何百万もの移民労働者が近代アメリカの建設に関わりました。ほとんどの大都市では、建築業の大半がアイルランド移民の労働者でしたが、1880年までにはイタリア人、ギリシャ人、ポーランド人が徐々にその数を増やしてきました。例えば1897年には、ニューヨークの道路舗装、下水道工事、橋や鉄道建設に関わっていた移民の約 75%はイタリア人でした。他の大都市でも同じでした。


Pick-and-shovel laborers generally earned $1.50 a day; skilled workers, $2.50. Artisans, those who embellished America's new buildings with mosaics, stone carvings, and other 
architectural details, were better paid. Their highly sought, specialized skills gave them a 
higher standard of living.
土木作業員の収入は、一般に一日1ドル50セントでしたが、熟練労働者は2ドル50セント稼いでいました。アメリカの新しいビルにモザイクや石の彫刻を施したり、細かい装飾ができたりする職人にはさらに高い賃金が支払われました。彼らの人気のある特別な技術はより高い生活水準を実現させたのでした。


移民がピークだったのは、1880年~1924年です。その前後も含めて、移民がもってきた技術が生かされいるであろう建築物を探してみました。


トリニティ教会 (1846年)


ニューヨークワールドビル (1880年)
(現在は取り壊されています。画像はWikipediaより)



ブルックリンブリッジ (1883年)




バンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビル、(1830年 現在の40ウォールストリートビル 画像はWikipediaより)



クライスラー・ビル (1930年 画像はWikipediaより)



エンパイア・ステート・ビルディング  (1931年 画像はWikipediaより)



エンパイアステートビルの中には、建設当時の写真が掲げられています。



「ニューヨークの高層ビル」についてウィキペディアの興味深い部分を下記に転記します。建設に関わったであろう多くの移民の姿が浮かびます。


ニューヨーク市の超高層ビルの歴史は、1890年に348フィート(106メートル)のニューヨークワールドビルの完成から始まる。このビルは、ニューヨーク市最初の高層建築ではなかったが、それまで高かったトリニティ教会の尖塔の高さ、284フィート(87メートル)を超えた最初の建造物だった。1899年まで、市で最も高かったこのビルは、ブルックリン橋の進入道路の拡張により、1955年に解体された。

この後、ニューヨーク市の高層ビルは、急激に発展する。1890年以来、市内に建つ11のビルが、世界記録を保持し続けた。1910年代初めから30年代初めまで、ニューヨークは高層ビルの建築ラッシュとなった。現在のニューヨークで最も高い82のビルのうち、16のビルはこの時代に建造されている—バンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビル、クライスラー・ビル、エンパイア・ステート・ビルディングなどは、完成時世界最高の建築物だった。

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